
(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)
荒れ果てたフランス・バロックの最高傑作
1789年7月14日、政治犯を投獄する圧政のシンボルだったバスティーユ牢獄を、パリの民衆が襲撃することで始まったフランス革命。口々に唱える合言葉は「自由・平等・友愛」だった。10月には、パンが急騰して苦しむ女性たちが、約20km離れたヴェルサイユ宮殿まで片道5時間の大行進をする。ルイ16世にパンの供出を約束させ、王妃マリー・アントワネットともども国王一家はパリに連れ戻された。
ヴェルサイユ宮殿で暮らす3000名もの貴族の贅沢三昧は、国家財政の破綻を引き起こしていた。庶民の貧しい生活との落差は、もはや我慢の限界を越えていたのだ。4年後、王ルイと妻アントワネットは、ギロチンによる処刑で首を切り落とされた。
主のいない宮殿は略奪され、革命政府によって家具・調度、あらゆる王家の品が競売にかけられた。歴代の王の心臓まで売り捌かれたというから惨い。ミイラ化した心臓を砕いて絵具に混ぜると、深みのある赤や茶色になるらしい。こうしてヴェルサイユは空っぽのがらんどうになって、荒れ果てる。
世界遺産「ヴェルサイユ宮殿と庭園」(登録1979年、文化遺産)は、フランス革命から遡ること100年以上、ルイ14世が1661年に建造を命じた王宮である。贅と粋の限りを尽くし、完成までに50年の歳月を費やしたフランス・バロック建築の最高傑作だ。すべての君主が憬れ、後にヨーロッパ各地に築かれる宮殿のモデルになった。
ウィーンにあるシェーンブルン宮殿や、プロイセン王が築いたサンスーシ宮殿と見比べると、優美な外観・内装だけでなく、麗しいフランス式(幾何学的)庭園の影響をうかがうことができる。日本の迎賓館赤坂離宮も、ヴェルサイユの庭園内にある離宮「グラン・トリアノン」から着想を得たものだという。
ルイ14世は、1400もの泉水が噴き上げ、アポロンやネプチューン、ドラゴンなど400体の彫刻が飾られた庭の“水のスペクタクル”を愛した。自ら「庭園見学の手引き」を執筆して、外国の大使が訪れると先ず噴水めぐりをさせた。
宮殿内で特筆すべきは「鏡の間」だ。73mにおよぶ大回廊に、巨大な17面の鏡がはめ込まれ、大運河まで3kmつづく庭園を映し出す。17世紀、ヴェネツィア共和国の門外不出だった鏡の製法を、極秘裏に職人を引き抜いて入手。アーチ型の窓に“鏡の壁”を対峙させた。黄金のシャンデリア型燭台が24点並べられ、祝宴の場になった。

そんなヴェルサイユ宮殿だが、実は誰でも自由に入ることができた。ルイ14世は起床時間になると、数百人が見守る中で、顔を洗い、かつらを選び、排便までしたという。アントワネットが公開出産の際に、余りの人いきれで酸欠になり失神したのは有名な話だ。そこは絶対王政の象徴であり、王を神格化するための“劇場”になった。