
お金がなければ、子どもに良い「体験」をさせてやれないのか。習い事に旅行にキャンプ。子どもに与えられる「体験」の量は、家庭の経済力によって左右される。「体験」によって得られるのは、今や魔法の力のように語られる「非認知能力」だ。
「体験」は本当に非認知能力を伸ばすのか、大量消費社会という視座から見た子どもの「体験」とは何か、貧困家庭で育つ子どもに「体験」の機会を与えるという発想の落とし穴とは──。『子どもの体験 学びと格差 負の連鎖を断ち切るために』(文藝春秋)を上梓した、おおたとしまさ氏(教育ジャーナリスト)に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──書籍では、「体験消費社会」という言葉が出てきます。
おおたとしまさ氏(以下、おおた):子どもの体験までもが、消費型社会の価値観で見られてしまっていることを、この本では「体験消費社会」と呼んでいます。
私たちは、高度経済成長期から、大量に生産して大量に消費する大量消費社会を構築してきました。消費型社会では、大量に消費できる人ほど豊かで幸せな人だとみなされます。
そのマインドセットがあるから、どうしても同じような視点で子どもたちの体験を見てしまう。
たくさん習い事をさせたほうが、たくさんのことが身につくのではないか。たくさんのことが身につけば、将来、たくさん稼いで、たくさん消費できる人になるのではないか。それこそが子どもの幸せなのではないか──。そう思っている人もいるのではないでしょうか。
それこそ、現在の社会の歪みであり、子どもの学びを歪める「呪い」だと私は感じています。
──昨今、よく耳にするようになった「体験格差」とは、どのようなものですか。
おおた:一般的にメディアなどで使われている「体験格差」という言葉は、学校以外の場での「体験」の機会に世帯収入による差が生じていることを意味しています。
ただし、この場合の「体験」とは、習い事や週末のキャンプ、夏休みの家族旅行など主にお金を使う「体験」を指しています(以下、そのような意味でカッコを付けて「体験」と表記する)。
──「体験」によって「非認知能力」が得られるといわれています。だから、「体験」の機会に格差があると、得られる能力にも差が出て、子どもの将来にまで影響があると言われています。
おおた:学力やIQのように客観的なテストによって数値化できる能力を「認知能力」、ペーパーテストでは簡単に測定できないそれ以外の能力を一括りにして「非認知能力」と言っているに過ぎません。
どんな体験からでも、非認知能力は育まれます。「体験」に費やした金額に応じて得られるものではありません。
認知能力、非認知能力という言葉は経済学に由来しています。経済学者たちは、どのような能力のある子どもたちが市場経済の中で将来的に価値の高い労働者になり得るかという点について、長らく研究してきました。
その中で彼らは、学力だけではどうも将来の収入、すなわち将来の経済的な成功を予測できそうもないということに気付きました。