写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ

 かつては“総合商社の万年4位”と言われた伊藤忠商事。21世紀に入ってからの成長ぶりは目覚ましく、2021年には純利益、株価、時価総額において業界トップに立った。大学生の就職希望ランキングでも、男女ともに圧倒的な人気を誇る。伊藤忠で何が起こり、経営や組織はどう変化したのか。本稿では『伊藤忠 商人の心得』(野地秩嘉著/新潮新書)から内容の一部を抜粋・再編集。岡藤正広会長、石井敬太社長をはじめとするキーパーソンの言葉を通して、近江商人をルーツに持つ同社に脈々と受け継がれている商人のマインドを明らかにしていく。

 2020年に企業理念を「三方よし」に変更した伊藤忠商事。なぜ今、創業者・初代伊藤忠兵衛の言葉を改めて掲げたのか。

三方よし

伊藤忠 商人の心得』(新潮社)

 伊藤忠のルーツは近江商人である。近江商人の言葉のなかでも知られているのが「三方よし」。この言葉は、売り手、買い手、世間の三方にとってよい取引をしろという意味だとされている。

 斯界の権威、滋賀大学名誉教授の宇佐美英機はこう解説する。

「『三方よし』の起源は諸説ありますが、その一つとされている中村治兵衛家の家訓の中には、『売り手によし、買い手によし、世間によし』の表現は見当たりません。

『売り手によし、買い手によし、世間によし』にあたる記述が登場するのは、あくまで初代伊藤忠兵衛の言葉が最初なのです。(略)近江商人独自の商売のスタイルを長年続ける過程で到達した精神が『三方よし』の源流にあり、それを最初に明確に言語化したのが、初代伊藤忠兵衛です。

 日本で『三方よし』を『創業の精神』とまで言い切れるのは、初代伊藤忠兵衛を創業者に持つ伊藤忠商事と丸紅だけではないでしょうか」(伊藤忠統合レポート2020)

 確かに「三方よし」の起源には諸説がある。原典のうちのひとつとされるのが近江国神崎郡石馬寺村(現在の滋賀県東近江市五個荘石馬寺町)の麻布商、中村治兵衛(法名宗岸)が残した遺言状「宗次郎幼主書置」だ。書置の第8条には「自分のことばかりでなくお客のためを思え」といった三方よしにつらなる言葉がある。