渡辺恒雄氏(2006年3月、写真:GAMMA/アフロ)

 読売新聞グループ本社社長・会長として、読売新聞のみならずメディア界およびスポーツ界に多大な影響力を発揮し続けたナベツネこと渡辺恒雄氏。非常に毀誉褒貶の多い人だったが、読売新聞社内の権力基盤は最後まで揺らがなかった。この王国を渡辺氏はいかにして築き、維持し続けたのか。

購買1000万部を突破した年に発表した「読売憲法改正試案」

 2024年12月に98歳で亡くなった渡辺恒雄氏は、最後まで読売新聞主筆の立場であり続けた。主筆は社論全般を指揮する役職で、渡辺氏は1985年に主筆に就任。約40年間にわたり読売新聞の社論をリードし続けた。

 主筆になった6年後の1991年、渡辺氏は社長に就任、社論のみならず、経営面でもトップに上り詰めた。以来、「メディアの支配者」としての足場を固めていく。

 1994年には読売新聞の購読部数が初めて1000万部を突破。さらに同年、「読売憲法改正試案」を発表する。